00. ネガティブな人は、自分自身の言語化が下手なだけなんじゃないかという感想
どうも、ネガティブなMarieです。言語化が難しいです。
ふと感じたことを言葉に残しておきます。
前置きとして、世の中としてはポジティブな方が良いとされています。そういった文化が根付いているが故に、普段からポジティブであると偽っている人間が結構いると感じています。自分はこの人間がとても苦手で、これに当てはまる自分自身も嫌いです。
こんな自分をなんとか直したいなぁと思って、こんなことを考えてみました。
・「嫌だ」と「好きだ」を使う文脈の違い
まさにネガティブ代表とポジティブ代表です。
さて、ネガティブ代表「嫌だ」からみてみましょう。
「嫌だ」は、何かしら外乱を受け、自己の信念からはみ出した部分のみを具体的に言語化して述べるものです。どのくらいはみ出しているのか、どうなったら理想なのかなど(いわゆる、逸脱の程度)は実は認識しなくても述べることはできます。
一方で、「好きだ」に関しては、外乱を受けずに(もちろん、受けた場合にも比較という形で議論しますが、)とある事象を取り上げ、自身の信念と一致していることを具体的に言語化して述べます。
さて、これを比較した時、少なくとも「好きだ」の方が「嫌だ」よりも話題となっている事柄に対して、自己の信念がどの程度を求めているのかが定量的に言語化されていることがわかります。つまり、ネガティブな人は自分自身がどんなものが好きで、どうなって欲しいかが本当はわかんないんじゃないかなと思っています。
そんな意味でも、言語化が上手くなりたいMarieでした。伝わっているかどうかわかりませんが、それではまた。