成長(抽象概念)をどう扱うかーなぜ学生がいつまでたっても成長できない理由?ー(乱雑に書いたので、あとで整理しなおします)
どうも、Marieです。今回のタイトルは「成長」。なんとも胡散臭いテーマです。
はてブロはこういう胡散臭いテーマも扱いたいなと思っており、ちょっと思ったことがあったので忘れないように書き連ねている次第です。
はてブロでは乱雑に書きなぐるので、見苦しい文章になるかもしれないですが、よろしくお願いします。
(結論僕が今まで無能だったという話に近いのですが、無能だと思って嘲笑ってもらえればと思います。)
成長ってなんだ?
成長するって何でしょう?精神的に大人になったこと?なにかかっこいいものが新たに作れるようになったこと?どれも抽象的です。
(これが嫌いな人が多いですよね、自分も嫌いです。)
言語として分解できていないことがすごく多くていわゆる「クソデカ主語」というやつです。
そこで、成長を一旦このブログでこう置きましょう。
”一定期間経った自分との差分を考慮したとき、自分の目標設定と同等以上の成果物もしくは行動量が見られること”
これには、以下の意図が含まれます。
- 時系列を設定することによって、評価が可能となること
- 成果物と行動量によって評価することで、客観的な評価となること
こうしないと成長という言葉が雰囲気解釈になってしまうので、「圧倒的成長!!」という言葉が発生すると考えています。*****(社会性フィルター)ですね。
成長に必要なもの
私は現在こういう仮説を置いています。
- 目標を立て、それを忘れない(振り返る)こと
- 目標に対しての意識を持ち、必要な要素を分解しながら行動すること
- 各要素に対して、繰り返し訓練をすること、それを振り返ること
いずれも成果物や行動量を効率よく達成するためには必要な要素です。経験則ですが、成長しない場合、どれかが足りていない可能性があります。
大学生が成長しない・改善されない理由
さて、今回主張したいのは、「大学生がなぜ成長しないのか」その理由です。
まぁ結論を言うと、前述したほとんどが認識できてないからになるのですが笑
大学をクリアする目標に安心感を覚えて自身の目標をほったらかしにする。
1つ目が達成できてない場合です。
大学の講義をクリアするという目標が、大学に入ると課せられます。しかしながら、これらは自分の目標と交わらない場合が往々にしてあります。
そして、自分の目標より大学の講義のほうが目標が定量的なことが多いです。そのため、大学の講義の目標をクリアして、自分の目標に目をつぶる人、多いのではないでしょうか。また、課題が忙しくてそれすら認識できない人もいそうです。
*****ですね。(社会性フィルター)(ここで、大学の講義をおざなりにしろとかいうわけではなく、大学の講義と自身の能力の評価をどちらもしなくてはダメだよねという話なのは覚えておいてほしい。)
目標に必要な要素を分解しきれず、無我夢中に行動してしまう。
2つ目が達成できてない場合です。
「圧倒的成長」的人類がこれに該当しますね。行動しているけれど目標に対して逆算的に行動できてない。行動している自分に満足している満足民ですね。いわゆる努力の方向性と計画性が間違っているというやつです。
*****ですね。(社会性フィルター)
繰り返し練習できてない。
3つ目が達成できてない場合です。
これが一番問題説があります。これは実は演習が充実している一部の大学以外で鍛えることがかなり難しいです。繰り返し訓練には繰り返す項目に対してかなり具体性を持っていないと経験を規則化しづらく、知見が身になりにくいです。ふわっと終わる。レポートなんかがその代表例です。違うテーマでレポートを繰り返しても何にも意味がないです。論じる以外の能力が上がらないと感じます。そして規則化しないと、成果物と効率化が出づらいです。だからみんな成長速度が遅くて病むんですね。
*****ですね。(社会性フィルター)
結言
わかったと思うんですが、重要なのに大学で鍛えられないというか、大学にいることによって阻害されるんですよこの知見。
自分が無能だったというのもありますが、ちゃんと意識しないと詰むのでまとめておきました。
誰かの一助となればいいなあと思いながら筆をおかせていただきます。あざざました。